年賀状と言うおかしな習慣
『便り』とは、情報を伝える事。年賀状は普段なかなか会えない相手に対し近況報告をしたりするもの。だから『お元気ですか?』とか『風邪などひかぬよう・・・』こんな言葉がつづられます。
礼儀も常識も時代とともに変わるし、年代や立場、人の価値観などによっても捉え方は千差万別であり、ならばこちらも臨機応変に使いこなせばよいということです。
本来は電話も無い時代に使うツールが正しいと思うわけです。何故電子メールの時代・近況なんか世界中何処にいても把握できる時代まで習慣が習慣が続く礼儀も常識も時代とともに変わるし、年代や立場、人の価値観などによっても捉え方は千差万別であり、ならばこちらも臨機応変に使いこなせばよいということですのか?熱狂的に年賀状を肯定する人は、みんな達筆なのです!自分の字のうまさを発揮する言わばステージなのです。いまだに手書きで書いてくる人が居るはずです。
しかも筆ペンで…
貧乏ほど年賀状を書きたがる
時代が変わり、これから先の未来、年賀状を送るという行為は、お金持ちとは逆行する習慣になるかもしれません。大きいのは時間のロスです。年賀状を書くには時間がかかります。何百枚も送る場合、1カ月ほど前から準備する人もいます。
さらに、自分が送らなかった相手から賀状が届いたら、返事を書く。すべてが元日に届くとは限らず、2日や3日にも届くから、それにも返事を書く。年賀状の取り置きがなくなれば、コンビニに買いに行く手間も発生する。そのコンビニも、だんだんと在庫がなくなり、別のコンビニをはしごして探す。
ここに膨大な手間と時間がかかりますし、「返事を書かなければ」という心理的負担もかかる。もちろん、年賀はがき代も馬鹿にはならないでしょう。
確かに、電話と手紙しか伝達手段がなかった時代、年賀状は意味のある行為でした。しかし、メールやSNSが普及した現在、特に若年層を中心に、あえて年賀状で近況や挨拶を送る重要性は低くなっていると言えるのではないでしょうか。
かつて親しかった人や、学生時代の同級生など久しく会っていない人でも、フェイスブックなどでつながっていれば、いつも会っているようなものです。お互いに近況も知っているから、改めて時候の挨拶をするほうがむしろしらじらしいというか、挨拶の重複感を覚える人もいると思います。
無礼だという人は性格に問題あり
実際、年賀状を送ってこないからといって、その人と付き合う・付き合わない、あるいは取引する・しないしないということはなく、年賀状は無関係です。
書かないのは無礼な人ということで、付き合い方が変わるという人のほうが、性格に問題ありと言えるのではないでしょうか。もしも年賀状を送ってこないからと言って本人を弾劾するような人は正直距離をおくべきでしょう。 これは年賀状と言う事から外して考えてみると、自身の常識は世界の常識であるから一方的にお前は間違っている。と言うモラハラ的な思想を持っているからです。
要するに自分が出したんだから貴方も出して当然でしょう。と言う意味不明な持論を講じてしまいます
これは仕事でも、プライベートでも他の意見を聞けない、傾聴と共感の無いコミュニケーション障害だと断定できます。
時代の変化
礼儀も常識も時代とともに変わるし、年代や立場、人の価値観などによっても捉え方は千差万別であり、ならばこちらも臨機応変に使いこなせばよいということです。
年賀状と言う習慣は、電子メールやフェイスブック・Lineと言うテクノロジーが無かった時代の産物です。深堀すれば『あけおめ』といった言葉もなかったでしょう!あけおめで分かる通り全てにおいて世の中は時短の方向に進んでいるのです。 言霊を紙に表し数日かけて届けていた行為は、今や言霊を電子デバイスに乗せ0.1秒で相手に伝わる時代なのです。
味気ないという理由で、蛇口をひねればお湯が出る時代に手間かけて薪でお湯を作る人は居ませんよね?
世の中の不採算を今こそ無くしましょう
否定的な人は郵便関係の人でしょうか? いつからかクリスマスにチキンを食べるように成りました。昔はそんな習慣無かったのに、誰かが仕掛けたんでしょう。そして特定の既得権益者が利を得ることに成るでしょう。 年賀状システムの既得権益者は誰でしょうか?またはどの組織でしょうか?
民間に成り、売り上げ重視ですから無理な保険加入もするでしょう。そんな組織の為に労力と財産を投じるのは今こそ無くしましょう。
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